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神の赦し

イエス様が公の活動を開始される前、洗礼者ヨハネが罪の悔い改めの洗礼を宣べ伝えていた、と福音書に出て来ます。ヨハネは、「神の国が来るということは、裁きが来るのだ」というメッセージを語り、今までの生き方を方向転換して、悔い改めにふさわしい実を結ぶ生き方をするようにと説いていたのです。ですが、イエス様のメッセージは全く正反対のものでした。「罪人が裁かれる」ではなく、「罪人が赦される」というメッセージだったのです。

イエス様のメッセージにより、ヨハネは躓きを覚えましたが、それは他の多くの人々にとっても躓きでした。

人が罪人である以上、この世には争いが起こり、犯罪が起こります。それを防ぐため、あるいは一人ひとりが自分の生命や財産、尊厳を守るため、法律を作って罪を裁きます。しかし、イエス様は罪を裁く事によってではなく、赦す事によって神の国を実現されようとしたのです。

規則や権力によって縛られ、罰せられる事を恐れていると、罪を犯す事はなくなりますが、権力への憧れが出て来たり、辛抱する事の出来ない人は、法律の網の目をくぐり、小さな犯罪を犯してしまったりします。あるいは、家庭という自分の小さなテリトリーの中で、DVなどの行為をしてしまったりするのだと思います。

イエス様はそんな私達人間の弱さをご存知で、赦しにより、心を自由に開放する事により、愛と祝福に満ちた世の中をお作りになろうとされたのだと思います。

ですが、おそらく圧倒的な人格や知識や知恵で、ごく自然に人々を束ねて行かれ、律法学者達の悪意に満ちた質問にも的確に答え、隙を一切見せる事のなかったイエス様が、人々の罵声を浴びながら処刑されてしまう・・・。どこまで人は罪深いのかと思わされてしまいます。

私達人間は、神様のように圧倒的な力を持っているわけではないから、子供同士が争うような喧嘩が絶えず起こり、エスカレートして「いじめ問題」も起こるのだと思います。ヘブライ人への手紙9章27節に「また、人間にはただ一度死ぬこと、その後に裁きを受けることが定まっているように」とありますが、キリストの十字架により救われているとはいえ、悔い改めを怠って、神様からの厳しい裁きを受けないようにしたいものです。
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