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聖なる者として、ふさわしく生きる

[新約聖書 エフェソの信徒への手紙5章1~5節]

「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。・・・(省略)・・・あなたがたの間では、聖なる者にふさわしく、みだらなことやいろいろの汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。」(5:1~3)

「すべてみだらな者、汚れた者、また貪欲な者、つまり偶像礼拝者は、キリストと神との国を受け継ぐことはできません。」(5:5)

ここの箇所では、クリスチャンとしてふさわしい生き方について述べられています。そしてそれは、私達が「偶像礼拝」に陥りやすい存在であるという前提の元に、書かれています。「偶像礼拝」はなにも、他宗教の事を指しているのではないと思います。私達は誰しも心の底で、どんな理想も、清らかな真心も、所詮は平和で安定している生活があって初めて通用するものだと、そう思っていますよね。そして、神様以外の、お金や地位や権力を崇拝し、それらを生み出すために努力し、競争し、クタクタに疲れてしまっているのだと思います。そんな努力の中の一つとして、自分に「ふさわしい」生き方を模索してはいませんか?家族から、友人から、職場の上司や同僚から、あるべき姿を要求されますよね。でも、それは自分の本来の姿ではなく、気に入られようとするがための演技によるものだったりすると思うのです。

ですが、キリスト教の神様は、欠けのある、ありのままの自分を受け入れてくださり、その上で、「聖なる者」としてふさわしい者になるようにと言われているのです。レジュメにはこう書かれています。

「“ふさわしさ”とは、私達の努力によって可能となるのではなく、聖霊が私達の中で働かれた結果、神の子の実態が少しずつ、確実に現れて来る時はじめて、そのような歩みへと導かれていくのです。」

神の子としてふさわしい人間へと生まれ変わる事のできる喜びに、感謝したいと思います。
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水の上を歩く

[新約聖書 マタイによる福音書 14章22~36節]

イエス様が水の上を歩かれる場面です。ペトロが舟に近付いて来られるイエス様を見て、自分も水の上を歩こうとしますが、強い風に気が付いて怖くなり、沈みかけます。しかし、イエス様はそんなペトロを「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と叱りながらも、助けられます。ここの箇所の強風は世の嵐、舟は教会を象徴しているそうです。

人は、そして教会は、水の上を歩くことが出来るそうです。ただし、それが主の御心である時、御心であると人が信じる時です。そして、疑いが生まれた瞬間、人は世の嵐の中に堕ち、沈んでしまうのです。そして、舟に乗って「向こう岸」へ向うという行為は、「神の国」を目指して旅する事を意味しているそうです。また、教会は、「神の国」を目指して旅する者が休憩する旅館ではないそうです。誤解されがちだと思いますが、この世の生活に疲れた者が安らぎ憩う場所ではないのです。教会は、世の嵐の中で祈り、向こう岸へと向う舟なのです。
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