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12人へのこだわり

[新約聖書 使徒言行録1章12~26節]

この箇所では、使徒たちがエルサレムに戻って来て、裏切り者のユダの代わりに使徒となる者を選びます。その時、使徒の数は11人でした。しかし、使徒達は12人での体制にこだわりました。なぜなら、12という数字には、特別な意味が込められていたからです。12という数は、イスラエル民族の12部族に対応するもので、ヤコブの子供達がそれぞれ、12部族の祖となったことに由来しています。ヤコブへは、先祖アブラハムへの神の約束が引き継がれているのですから、12弟子を中核として造られた教会にも、それが引き継がれていると考えるのです。

イエス様ご自身も、12人の弟子たちを選ばれた時、徹夜の祈りをして、「これは」と思う12人をお選びになったと言います。ですが、注目すべきなのは、イエス様ご自身が使徒の補充をお命じになったという事が記されていない点なのです。もし本当に欠員補充が必要だとイエス様が考えておられたなら、昇天されるまでの40日間にお命じになってもおかしくなかったはずなのです。

欠員補充の必要性を説いたのは、ペトロでした。ペトロは、詩編69編26節と詩編109編8節を引用して説明しています(17~20節)。詩編109編は、神に敵対する者に対して呪いの言葉を浴びせかけ、彼の今ある地位が誰かに取って代わられるようにと願っている詩編です。ペトロはこの敵を、ユダを預言しているものと理解し、「その務めはほかの人が引き受けるがよい」という言葉に従ったのです。

しかし、このペトロの行動は、イエス様が望んでおられた事ではないと言います。敵を憎悪する詩編を根拠に欠員を補充した事は、敵をも愛すべきとするイエス様が望んでおられた教会のスタートではなかったはずなのです。

ペトロたちは、空席を埋めることをもって、スタートしようと考えました。しかし、それは、欠けを嫌い、不足した状態を不安定と考える人間の性がもたらしたものだと言います。私たちの様々な欠け、不足、穴が開いた状態を埋めるのは、私たちの知恵や力ではなく、約束の聖霊です。聖霊はペンテコステの日に、私たちの欠けや弱さを覆うようにして、降臨してくださるのです。

たしかに、欠けや不足を嫌い、補おうとする気持ちは、私にも理解できます。5個セットのコーヒーカップの一つが欠けたら、全体の価値が半減するように感じますし、服に出来た見てわからない程のほつれが気になって仕方ありません。自分自身の人格についてもそうです。ですが、欠けがあるからこそ、神様からの恵みを受けられるのであって、欠けがあることは、むしろ、喜ぶべき事なんですよね。

イエス様は、12人の弟子を選ばれた時、その中に裏切り者のユダを入れておられました。イエス様の弟子集団は、その最初から、痛みを、欠けを内包しつつ始まったのです。そして、欠けを内包しつつ歩むのが、主の弟子集団なのです。主の恵みに、心より感謝したいと思います。
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「空」とは何か?

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