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「ぶどう園と農夫」のたとえ

[新約聖書 ルカによる福音書 20章9~19節]

このたとえ話は、イエス様が地上のご生涯においてなさった最後のたとえ話です。ぶどう園の主人が旅行先から収穫の季節に、次々に僕を送りますが、いずれも侮辱されて追い返され、最後に主人の跡取り息子を送ったところ、殺されてしまうというお話です。

このたとえ話に出てくる主人とは神様、次々に送られた僕は預言者達、最後に殺された跡取り息子はイエス様、農夫たちはイスラエルの民を表しているそうです。死を覚悟されたイエス様の心境が、この話の中に、よく現れていると思います。

17節と18節はとても難解に思いますが、「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」というのは、救い主であるイエス様が殺されるという「あってはならないこと」が、私達の救いのために「なくてはならないこと」に変えられた、という事を意味しているそうです。

私達は弱い存在でありながら、好き勝手に生きたいと願い、神様の事を忘れがちです。自分の力で、自分のために生きようとしてしまいます。それが、神様への反逆とは気付かずに・・・。私達は自分が家庭や職場、自分の人生の主人になろうとして、神様になり代わろうとしているのです。その事が、主人の留守中に農地を主人から奪い取ろうとする民の行動として、この聖書箇所に描かれています。

イエス様は、そんな我がまま勝手な私達を救うために、十字架に架かってくださいました。でも、この事を軽く考えたり、イスラエルの民衆がそうであったように、愚かだと罵ったりしてはいけないのです。犠牲は時として、嘲笑の的となったりします。でもそれは、私達の心が、悪魔に支配されているからだと思います。イエス様の尊い犠牲に涙し、悔い改める時はじめて、胸を張って、クリスチャンは、クリスチャンだと言う事が出来るのではないでしょうか。
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