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真の救い主とは・・・

[新約聖書 ルカ20章41節~21章4節]
[新約聖書 マタイによる福音書21章1~11節]

イエス様がお生まれになった時代、ユダヤの人々は、ローマの支配下にある自国がもう一度、メシアの手によってダビデ時代の繁栄を取り戻す事を願い、メシアはそういう働きをするのだと期待していました。事実、イエス様はダビデの血を引くダビデの子孫なので、その通りの事が起きようとしていました。ですが、イエス様は、ユダヤの人々が考えていたようなメシアのイメージとは異なる、救い主の姿を人々の前に見せられたのです。

エルサレムに入城された時の事です。イエス様は弟子達に命じて、ろばの子を連れて来させます。それは、ご自分が入城する際に乗るためでした。そしてそれは、ろばの子に乗るメシアの姿こそが、神様が備えられた本当の救い主メシアに最もふさわしい姿である事を伝えています。当時の人々に限らず、現代に生きる私達も、メシアとは勇ましい軍馬にまたがって入場するような存在だと考えてしまうと思います。ですが、本当の意味で、私達人間を救えるのは、そのように遜った、柔和で優しいお方なのです。

私達は誰しも、愚かな部分を持っていると思います。権力によって支配される事を嫌がりながら、自分と同じ、または劣る存在に支配されるよりは、自分を完全に負かしてくれる存在に支配される事を望むのです。そして、それが自分の定めだと、自分に言い聞かすのです。しかし、イエスというお方は、私達を力で屈服させる人では、ありませんでした。「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽い」と言って、イエス様ご自身の荷物を共に担ってついて来るようにと、お命じになるのです。イエス様が負われた荷とは、元々、私達の罪が作り出したもので、私達の荷なのですから・・・。

洗礼を受ける前、こんな事を考えてしまいました。もしイエス様が十字架の上で死なれず、その後も生きておられたら、それまでのイエス様と同じで居られただろうかと・・・。エルサレム入城の際、賛美して迎えた群衆が、処刑のシーンでは、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び狂ったのです。そういう、イエス様の心をわかろうとする事もない、罪そのもののような群衆を救うため、罪を抑え込むために律法遵守を強いていたファリサイ派や律法学者達を敵に回したのが、イエス様だと思います。なぜ、全ての人類を救おうなどと思われたのか・・・。イエス様なら、イスラエルの王になる事だって出来たかもしれないのに、そのような英雄は真の救い主ではないと、ご自分の信じる道を突き進まれたのが、イエス・キリストなのだと思います。

格好のいい軍馬より、黙々と仕えるろばを用いられたイエス様。権威や権力を否定されたイエス様。完全であろうとせず、罪を認めるようにと言われたイエス様。そのイエス様に受洗前、抱いてしまった反抗の気持ちは、サタンの仕業に他ならないと思います。ろばのように、「主がお入用なのです」と、イエス様から必要とされるクリスチャンでありたいと思います。
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