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復活が意味すること

[新約聖書 ルカによる福音書24章36節~49節]

エマオの途上で二人の弟子の前に現れられたイエス様は、今度はエルサレムで、弟子達の真ん中に立ってその姿を見せられます。恐れおののき、亡霊を見ていると思っていた弟子達にイエス様は、ご自分の手と足を見せられ、目の前で焼き魚を食べてみせられました。そうしてイエス様は、弟子達の心の目を開き、復活の信仰へと導かれたのでした。

この箇所では、復活が意味する事について書かれています。イエス様の復活によってもたらされた福音は、「罪の赦しを得させる悔い改め」(47節)だったのです。主の十字架の死は、私たちの罪がもたらしたものですが、その死に打ち勝って主が復活されたということは、私たちの罪が完全に赦され、贖われたことを示しているのです。その後、「復活の証人」として各地に遣わされた弟子達は、その事を喜びの証言として伝えてまわる使命を帯びていたのです。

人の罪によって死に追いやられた英雄が、その罪が赦されることによって生き返る・・・。罪人を救う人は、罪と闘うことによって生き返るのではなく、相手の罪を赦してもらうことによって生き返るんですね・・・。

レジュメにはこうあります。「人は皆、被害者気分で生きてしまいがちである。でも同時に、加害者であることを忘れてはいけない。意図のあるなしにかかわらず、自覚のあるなしを問わず、私たちが生きていること自体、絶えず何らかの意味で加害者になっているのだ。」幸福であることが、不幸な人から見れば罪であったりすると思います。でも、よく分析してみれば、幸福な人にはそれを裏づける理由があって、不幸な人についてもそうです。ですが、私たちは自分に都合よく物事を考えてしまい、自分は被害者で、加害者ではないと考えたがるのだと思います。ましてや、実際に被害を受けた場合など、相手が被害者で自分が加害者だと考えるなんて、私たちには到底出来ることではないと思います。だから、互いに被害者でもあり、加害者でもあるというような人間同士の関係が出来てしまうのではないでしょうか。そして神様は、そんな私たちの弱さをわかってくださって、それを赦そうと言ってくださるのだと思います。

私たち人間は、どんなに努力しても、イエス様のようにはなれないのだと思います。何が正しいか分かっていながら、なれないんです。自分は多くの問題を抱えていながら、他人に完璧さを求めては、裏切られて愕然とする・・・。それが私たちの現実だと思います。それでも、聖霊様の助けを借りて、少しでもイエス様に近付くことは出来るはずです。復活の出来事が示す本当の意味をかみしめ、私たちの身代わりになって十字架に付けられてくださったイエス様に感謝し、悔い改めの気持ちを持ちたいと思います。
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