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神の武具を身に着ける

【新約聖書 エフェソの信徒への手紙 6章10節~20節】

「最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手とするものなのです。だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。(エフェソ6:10-13)」

エフェソ書は、1章から3章までは「教えの部分」、4章から6節までは「実践の部分」と大きく2つの部分に分けられているそうです。そして、この6章10節からにおいて、学んだことを行動に移すようにと、パウロは勧めているのです。

悪魔とは、ヘブル語で「サタン」、ギリシャ語で「アンティディコス」とされ、「訴える者」、「敵対する者」、「試みる者」の意味があるそうです。実際、キリスト教が定義する悪魔とは、神様と私たちの関係を破壊する者、そのことを目的として生きている者のことです。クリスチャンは悪魔の存在を大変強く意識していると思うのですが、それは悪魔の策略が一番強いところ、それが他でもない、目を覚ました信仰者が集う教会であるからなのだそうです。私たちが神様に近づけば近づくほど、サタンは激しく私たちに襲い掛かるのです。

悪魔が最も嫌がるのは、私たちが自分の無力さを認めて主に依り頼み、隣人を愛そうとする人間に変えられていくことなのだそうです。そんな私たちに対して悪魔は、この世の価値基準に懸命に引きずり込み、神様にではなく、この世の人々に称賛されることを求めるよう、仕向けます。神様の御心は「支配と権力、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊と戦うこと」なのに、悪魔は、私たちの敵は目に見える人間だと錯覚させて、私たちの心を惑わすのです。

「ギブ・アンド・テイク」という言葉がありますが、クリスチャンになって、この言葉の中にも悪魔の働きを感じ取るようになりました。働いて対価を得る、役に立って認められる、他人を幸福にして愛される。それは、大変理にかなった事だと思うのですが、与えるものが何もない者は、無価値として捨て置かれるのが、私たちの生きている世の中ですよね。何も持たない者には、人の物を盗むとか、共通の敵を作って微力ながら戦力になるとか、そんな生きる道しか残されていないと思います。そして、それさえ出来なければ、生きる事を断念するしかなくなると思います。そしてそういう駆け引きは、レベルが高くなればなったで、形を変えて存在し続けると思うのです。実際、この世の人間は皆、悪魔の陣地で、悪魔に支配されて生きているように思います。

強い者も弱い者も、それぞれの賜物を生かして協力し合い、助け合って生きていく。それがどんなに難しい事か、考えさせられます。私たちが生きているのは悪魔の支配下。少しでも多くの物を持っていることで、幸福に生きて行けるんです。ですが、それは駆け引き材料を失った時の恐怖と背中合わせです。隣人を愛し、信頼し、他人のために快く持ち物を手放せる。そして、感謝され、一つの神の家族となる。そんな風に生きれるようになるのが、クリスチャンが目標としている、遠い遠い、神様が支配する「神の国」なのではないかと思います。
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