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バベルの塔

[旧約聖書 創世記11章1~9節]

有名な「バベルの塔」のお話です。最初、人は同じ言葉を用いて話していましたが、建築技術が発達することにより、天まで届く塔を建てることを思いつくのです。しかし、この試みは神様が人の言葉をバラバラにしてしまわれることで、途中で頓挫してしまったのでした。4節で人間たちは「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合い、石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いますが、このことは、「科学の進歩」を表しているそうです。人間は自らの力で科学を進歩させることにより、自分たちの力で神の領域に達し、神を追い越そうとしたのです。

2節にあるように、バベルの塔を建てた人々は、東の方から移動して来た人々で、神様の意思により、全地へ散らされて来たのでした。「全地へ散らされる(4節)」というのは、「神の祝福」を表しているそうです。彼らはシンアルの地に平野を見つけて住み着くのですが、これ以降、他の土地へ移り住む必要のないように、バベルの塔を建てることを思いついたのでもありました。この事は、「神の祝福はいらない」、「神の指図は受けない」という人々の思いの表れでした。

「言葉」は人同士のコミュニケーション・ツールとして重要なものです。「同じ言葉を話すこと」は「心を通じ合わせること」とも直結しており、同じ言葉を話せれば、それだけ団結しやすい状態になるのです。しかし、神様はあえて、この「言葉」を乱すことにより、人同士の団結を阻まれました。そして、今私たちの生きている世の中のように、指示を出す役人と技術を持つ職人が互いに自己主張し、なかなか共同作業が行えなくなる現実が現れるようになったのです。お互いの「罪」である「エゴ」がぶつかり合い、お互いを尊重して理解することの出来ない現実が、人と人とを仲たがいさせ、すれ違いによる別れや孤独といったものを生むようになったのです。

言葉の乱れについて語られている箇所が、新約聖書にもあるといいます。使徒言行録の2章4節以下です。イエス様の復活から40日めに使徒たちの上に聖霊が降りますが(聖霊降臨)、その時、エルサレムに住んでいた人たちが、めいめいの故郷の言葉で話し出したのです。この事は「バベルの塔」の出来事と似ているように思うのですが、この現象を起こした神様の御心は全く反対だというのです。この時神様は、お互いの言葉の違いを乗り越え、キリストの下、心を一つにするようにと望まれていたのです。

旧約聖書は「業(律法)の契約」(※1)、新約聖書は「恵みの契約」(※2)であると教会で教わりましたが、神様の人に対する対応の仕方も、大分違うものになっていることがわかります。神様はバベルの塔を建てた人々には、あえて仲たがいをさせました。それは、人が団結して神様を超えようとするのを阻止するためでした。人間に小さな罪を持たせることにより、神の領域を侵すという大きな罪を防がれたのです。ですが、神様が本当に望んでおられるのは、今のように仲たがいした状態ではなく、言葉の違いがあってもなくても理解し、愛し合える、そんな世の中なのです。

人は高いところを目指して凌ぎを削る生き物ですが、キリストは低いところを目指しておられる方だといいます。上を目指して他者を追い落とす、それが人の営みの常かもしれません。ですが、バベルの塔の下に小さな十字架が建っていて、そんな私たちを見守っていることを覚え、その奥深い恵みに感謝したいと思います。

※梅が丘教会、広田牧師の説教を参考に書きました。
※1、2・・・・アメリカ合衆国・長老教会「ウェストミンスター信仰告白」の信条文の中で定義されています。
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