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復活の主の証人として生きるために

[新約聖書 使徒言行録1章より」
イエス様は苦難を受けた後、御自分が生きている事を数多くの証拠をもって使徒たちに示し、40日にわたって彼らの前に現れ、神の国について話されました。その時、使徒達は、イエス様に「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねます。しかし、イエス様は、「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない」といって、お答えにならず、聖霊デュミナスの力を受けて、「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる(ように)」と言われ、復活の主の証人として生きるように命じられます。
この箇所は、この世に生きる者にとって、非常にとまどう箇所のように思います。なぜなら、このイエス様の教えは、競争社会そのものを否定するもので、強い者が弱い者の上に立って支配する、という現実において否定しがたい原理を真っ向から覆そうとする考え方だからです。イエス様は使徒達にエルサレムに留まるようお命じになりますが、それは神への信仰の中心地であるエルサレムを「中心」とするからであって、権力の中心地であるローマは「地の果て」である事を意味するそうです。そしてそれは、長年イエス様に付き従った使徒達でさえ、イエス様が受難に遭われた後になって初めて知る、イエス様の真意だったのです。
このイエス様の教えを理解するには、神様の選び方と人間の選び方には大きな違いがあるという事を理解しなければならないそうです。人間はより優れたものを選びますが、神様はより貧弱なものを選ぶのです。それは、貧しさを知る事を勧める、キリスト教の精神の根本であるように思います。
どうやって、この価値観の転換を受け入れるか・・・。正直に言って、すんなりと受け入れられる価値観ではありません。もし受け入れるなら、社会から脱落してしまいそうに思えるからです。でも、自分自身の心の働きを思う時、敗者に対しシンパシーを感じたり、より弱い者に対し優しい気持ちが持てたり、というのがあると思うのです。その非合理な心の働きこそ、私達が神様の創造物である証で、大切にしなくてはならない貴重な魂なのではないかと、ふと思いました。
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