FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

契約と割礼

[旧約聖書 創世記17章1~11節]

聖書のこの箇所では、アブラムが神様から次の2つの祝福の契約を約束されます。

①アブラムに多くの子孫を与え、アブラムを諸国民の父とすること。
②アブラムとその子孫に、カナンの土地すべてを所有地として与えること。

この時、アブラムはアブラハム(「多くの者の父」の意味)という名前を神様から与えられ、それ以降、そう名乗るようになります。そしてまた、この時、契約関係のしるしとして、「割礼」の義務が課せられます。これ以降、イスラエル民族は「血のつながり」によってではなく、「神との契約関係に入ること」を条件に、正式に民として認められるようになったのです。

「割礼」については、新約聖書にも記述がありますが(コリントⅠ7:17~24、ガラテヤ5:2~6)、クリスチャンにとって、「割礼の有無は問題ではない」とはっきり述べられています。それは、キリスト教を世界中に広めるにあたって、大きな議論の的になった事柄ですが、「私たちをキリストが罪の世界から神様の祝福の下に解放してくださったことにより、必要のない事だとされるようになった」とのことです。キリストが架かってくださった十字架は、全ての人を救うためのものであり、そのためには、形式的な枠組みを乗り越える必要があったのです。今、私たちクリスチャンが受けている「洗礼」についても同様に考えられているとのことです。神様が私たちに求めておられる信仰とは、ただ儀式を経て信徒になることではなく、「キリストに愛され、キリストの愛を受け入れ、隣人と真剣に向き合って、愛の実践を行うこと」なのです。

「なぜクリスチャンになったのか」という質問をよく受けるのですが、プライベートな事について話すのに抵抗を感じる私は、いくつかの御言葉に出会い、気持ちが救われたから、というような答えをしていますが、洗礼を受けることは、自分を縛ることでもあって、それまでの生活に対するケジメであったり、どのように生きたい、というような決意でもあったと思います。また、自分はどういう人間だ、というようなアイデンティティが欲しかったというのも、理由の一つにあったと思います。ですが、このアイデンティティというものは、「選民思想」とも繋がって、民族間の争いの原因となっていることも否めないのは、歴史が証明している所だと思います。あの「ホロコースト」も、ドイツ民族のユダヤ人に対する偏見から起きたことですし(ユダヤ人はキリストを死に追いやった悪い民族だという偏見、その他)、アイデンティティを異にする人間同士間に起き得る、差別感情の恐ろしさを思います。

最後に、マザー・テレサの次の言葉を書き記したいと思います。

    *  *  *  *

 あなたがなんであり どこの国の人であろうと
 金持ちであろうと 貧乏であろうと
 それは問題ではありません。
 あなたは 同じ神さまがおつくりになった
 同じ神さまのこどもです。

    *  *  *  *

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ペンシル2009

Author:ペンシル2009
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。