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ソドムの滅亡

[旧約聖書 創世記19章1~29節]

この箇所は、聖書中で有名な、ソドムとゴモラの街が滅亡するお話です。神を畏れず、悪徳をはびこらせたこれらの街は、神様により、裁きを受けました。その際、ソドムに住んでいたロトとその妻と2人の娘だけが、神様の御使いによって、救出されます。しかし、ロトの妻は、主が彼らに告げられた「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。」という言葉に背き、焼き尽くされていく街を振り返って見てしまったため、塩の柱にされてしまったのでした。

神様の二人の御使いは、旅人の姿でソドムの門の所に座っていました。当時、ソドムの街は物騒でしたから、旅人というのは、強盗である可能性もあり、用心すべき存在でした。しかしロトは、ひれ伏して彼らを家の中へ迎え入れ、一晩泊まるよう促します。ロトもアブラハム同様、二人の旅人が神様の御使いであることが、瞬時にわかったのです。「よそ者」である二人の旅人を迎え入れたロトに対し街の人々は、激しく批難し、ロトを「なぶりもの(=レイプ)」にしようとしますが、御使いがロトを救います。そのように、ソドムの街は荒れ果て、すさみ切っていました。

聖書のこの箇所が伝えようとしているのは、「後ろを振り返ってはいけない」ということなのだそうです。ロトの妻が目的地まであと一歩の所で塩の柱にされたのは、後ろを振り返ったからですが、それは「ソドムの暮らしに思いがあったから」、つまり、「罪の暮らしに思いが残っていたから」なのです。聖書には、人が過去をひきずらず、前向きに生きることを勧めている箇所がいくつかあるそうです。その一つが、「ルカによる福音書」の9章61節以下で、弟子志願者に対し、イエス様が、後ろのもの(家族に別れを告げることなど、自分の事情を整理すること)を断ち切るよう勧めておられます。また、「フィリピの信徒への手紙」3章12節以下ではパウロが、キリストから賞を与えられることを目標にして、ひたすら走ることを勧めています。また、このブログのテーマにした「新しく生まれること」(「ヨハネによる福音書」3章1~15節)とも関連しているように思います。聖書が私たちに勧めているのは、卑屈な思いや恨みやわだかまりなど、悪しき思いにいつまでも囚われることなく、過去を清算して、未来に明るい希望を追い求めることなのだと思います。

しかし個人的には、ロトの妻が少し気の毒に思えたりもします。なぜなら、どんなに悪い思い出ばかりの場所、過去の生活であっても、いざ去るとなったら、心残りが生じるのではないかと思うからです。ソドムは悪徳がはびこった街でしたから、その中で生きていくことは容易ではなかったはずです。ロトたちがどの程度の暮らしをしていたかはわかりませんが、仮に人並みであったとしても、その暮らしを得るために血の滲むような努力や忍耐も必要だったと思うのです。また、隣近所の人や仕事仲間など、時には協力し合ったりした友人もいたでしょう。そして、ほとんど希望が見出せないからこそ、涙が出るほど強く感動することもあったのではないかと想像します。その暮らしに、ほんの僅か、惜しむ気持ちを抱いたロトの妻・・・。新約聖書中であれば、神様に赦されたのではないかと思いました。人の運命とは、そのように僅かな考え方や心の持ち様で、左右されてしまうものなのかもしれません。

ソドムとゴモラ・・・。ひょっとすると、現代社会も同じような様相を呈しているのかもしれません。決して飢え死にする人や経済的に貧しい人で溢れ返っているわけではないのに、本当に些細なことで喧嘩したりキレてしまう人が多かったり、幸福なはずなのに幸福と感じられない、それが私たちの現実ではないかと思うからです。幸福を分け合うことで、皆が同じように幸福を感じることが出来る、そういう自然で健全な世の中になっていけばいいのに・・・、と思います。
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