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イエス・キリストが起こした奇跡

[マタイによる福音書 14章より]
14章は「洗礼者ヨハネ、殺される」、「5千人に食べ物を与える」、「湖の上を歩く」、「ゲネサレトで病人をいやす」の4つの話から出来ています。そのうち、牧師さんが取り上げられたのは2番目の「5千人に食べ物を与える」でした。

男だけで5千人もいる群衆を前に、イエス様は彼らに食べ物を与えるよう、弟子達に言われます。しかし、そこには5つのパンと2匹の魚しかなかったのです。弟子達は困りますが、イエス様は彼らに、その5つのパンと2匹の魚を持って来るように言われるのです。その僅かな食料を前に、イエス様は天を仰いで、賛美の祈りを唱えられます。すると、食料は次々に増え、群集の空腹を満たすことが出来たのです。

この話が伝えているメッセージは、主が「空っぽの手で良い、私に差し出しなさい。何もなくても良いから、祈り求めなさい。必要なものは、あなたのその手に私が満たす」という事だったのです。イエス様の教えを請う私達は、そのようでないといけない、という意味でしょう。弟子達をはじめ、信者達はすべて「祝福を受け継ぐ者」なのです。籠に溢れ出たパンと魚のように、信者はそれ以外の人々に神様から受けた祝福を分け与える使命を与えられているのです。

14章の3番目と4番目も2番目と同様、イエス様が行なわれた奇跡について書かれています。読んで単純に思うのは、「イエス様は、すごいお方だ!」という事ですが、私が一方で感じるのは、群集とは気楽で無責任で自分勝手な存在だ、という事です。大道芸人の芸を見て、皆大喜びで拍手しますが、その芸を取得するまでの芸人の苦労について考えたりはしません。うっかり間違えでもすれば、ヤジを飛ばすのが群集なのです。そう考えると、イエス様くらい損な役割を負われた方はいないと思うのです。でも、すべての人を救うためには超人的な力が必要で、その力と何かを駆け引きするわけではなく、ただ無条件に奇跡を起こし続けなければならないと思います。よく、難しい手術を成功させるお医者さんを「神の手」を持つなどと表現しますが、そういうお医者さんは、当たり前のように、患者さんに奉仕するのが自分の使命というように言われます。そういう人は、まさに、生き神様だと思います。
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