FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ファリサイ派の人達

[ルカによる福音書 18章9~14節より]
 ファリサイ派の人と徴税人のたとえ話の所です。ファリサイ派の人は、祈りの場で、自分がどんなに律法を守り、献金しているかを主張し、神様から褒め称えられたいと望みますが、当時、蔑まれていた職業である徴税人は、ただ一言、「神様、罪人のわたしを憐れんでください。」と祈ったのです。そして義とされたのは、後者、徴税人の方だったのです。
 「ファリサイ派」という言葉は、「区別する者」という意味のあだ名で、ファリサイ派の人達は、自分達と一般のユダヤ人とを区別し、自分達だけが律法に忠実で、立派で、神様に報われるべき存在であると誇りを持っていました。しかし、彼らは「差別」という罪を犯していたのです。牧師さんが書かれたレジュメには、「人と比較して自分の方が優れている点を見つけて人を見下し、力を得たり、自分より劣る者を見つけて生きる励みとする」といった醜い罪の心が、人間社会にあふれる「差別を作る原動力」となっている、とありました。これには、目から鱗が落ちるような感じを受けました。自分より優れた者に憧れるのに、自分より劣る者を必要とする心のしくみ、誰の心にも存在するのではないでしょうか。家庭内のDVや学校でのイジメから人種差別の問題まで、殆どがこれにより説明できるように思います。
 こう考えると、私達人間の殆どは「ファリサイ派」だと思います。ただ、良いとされる基準となるものが異なるだけです。14節に「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」とありますが、ファリサイ派の人達が守っている行為そのものを否定しているのではないと思います。彼らの心に巣くう差別意識、そして、神に祈りながら、実は自己満足に終わっている事を指して、義とはしないと言われたのでしょう。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ペンシル2009

Author:ペンシル2009
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。