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神の国へ入るために

[新約聖書 ルカによる福音書18章18~30節]
この箇所は私が2度目に教会の礼拝へ足を運んだ時、牧師さんから説教を受けた部分です。そして、キリスト教に対して疑問を持ってしまった箇所でもあります。その中の御言葉「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」は、信者でなくても知っているくらい、有名なようです。私が疑問を持ったのは、ちょうどその頃、ある友人がお金に困って、私を訪ねて来た事と重なったからでもありました。その人は、クリスチャンかと思ったくらい、思いやりがあって、お金に困っている人を見つければ、たとえ初対面であっても、万単位のお金を貸してあげるという人でした。私がその人に、「○○さんはどういう自分でいたいですか?」と尋ねると、即座に「心の優しい、思いやりのある人」と答えていました。この言葉が彼女を物語っていたように思います。その友人が、ある日、香水で隠しているとはいえ、独特の臭気を漂わせて、乞食のような格好で私の前へ現れたのです。私は人に万単位でお金を貸した事がなかったのですが、その時初めて、手元にあった1万5千円を貸しました。彼女は利子を付けて返すと言いましたが、私はあげたつもりでいて、このお金で就職活動をして欲しいと言いました。ところが、彼女はそれをすべて飲み食いに使ってしまったようでした。そのお金は、3ヶ月くらいかかって、戻って来ましたが、話を聞くと、働いて作ったものではなく、やはりお金に困っているお兄さんから受け取ったものだという事でした。その出来事と聖書の御言葉が重なって、何が正しい事なのか、わからなくなりました。私は、その友人が、かつて出会った友人の中で一番と言っていいほど、好きだったのです。持ち物をすべて貧しい人に分け与えなさいなんて、お金を稼ぐ事の大変さを知らない人の言う事だと、正直、思いました。もし、この御言葉が正しいなら、私の友人は誰か心優しいお金持ちによって、救われなければならないはずです。自分の生活を犠牲にして、彼女を養ってあげられなかった、私は神の国へは入れないのでしょうか・・・?そんな疑問に、牧師さんはレジュメの中でこう答えておられます。「聖書の言葉を頭だけではなくて、あなた自身の実生活の中に生かしなさい。その理由は、生活の中に生かそうとした時に、聖書の言葉通りに生きることの出来ない自分自身に気づくためです。」また、ルカによる福音書の19章の初めに、ザアカイという徴税人が登場します。その人は、お金は持っていましたが、友達がおらず、孤独な人でした。イエス様はそのザアカイを大変気に入り、彼の家に泊まったとあります。彼は自分が欠点だらけの人間だという事をわかっていて、イエス様を心から敬う事が出来たのです。完全な人間より、むしろ、欠陥のある人間に対して、ある意味優しいキリスト教の教え・・・。この部分に引っ掛かりを感じて、信心する事をやめてしまう人もいるのではないかと思います。でも、助け合いの精神というのは、こういう少し非合理な考え方からしか生まれないように思います。私はまだ、教義に縛られる事に抵抗があり、しばらくは洗礼を受けれないかもしれません。こんな私でも、自分の罪深さを自覚すれば、洗礼を受けれるようになるのでしょうか・・・。教会の人たちに、本当の事を語れないのが辛いところです。
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