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狭き門

アンドレ・ジイドの『狭き門』を読んだ。友人が私に勧めたのが不思議なくらい、哲学的な小説で驚いた。それとも、現代人と昔の人々との感じ方のギャップがあるからだろうか?この小説に主に登場するのは、アリサ、ジェローム、ジュリエットの3人。アリサとジュリエットは姉妹で、アリサとジェロームは恋仲である。内向的で理屈っぽいアリサと違い、ジュリエットは活発で親しみやすい性格の持ち主。ジェロームはジュリエットが自分に好意を寄せている事を知らずに、アリサに対する想いを、事細かに彼女に対して聞かせてしまう。密かに傷ついていたジュリエットだったが、彼女は一時的に心を病んだ後、求婚者と結婚して幸福になる。しかし普通なら、ジュリエットが深く傷つくところ、この恋愛において、もっと心を病んでいたのはアリサの方だった。恋愛をいたって自然に受け止められるジェロームと違い、アリサは神様以外を愛し、現世的な幸福を得る事自体に、罪の意識を持っていた。あまり強調して描かれてはいないが、ジュリエットを傷つけてしまった事への罪の意識だったようでもある。自分が幸福になることで、ジュリエットが一生不幸になる、彼女はそんな風に思ってしまったのではないだろうか?アリサのジュリエットに対する気持ちはこのように描写されている。

「ジュリエットは幸福だ。自分でもそう言っているし、はたからもそう見える。わたしとしては、それを疑う権利もなければ、理由もない。それなのに、いまの彼女のそばにいて、この不満、不快といったような感情が心に浮ぶのはどうしたことだろう?おそらくそれは、そうした幸福がいかにも実際的なものであり、いかにもたやすく手にはいり、いかにも<注文どおり>にできていて、それが魂をしめつけ、窒息させるもののように思われるからではあるまいか・・・・・」

アリサがジュリエットの結婚相手を慕っていた過去があるなら、この気持ちはわかるけれど、なぜ、そこまでジュリエットの幸福に対し、疑念を持ち、不快感まで持ってしまうのだろう?
でも、アリサのジェロームに対する恋心は、ただ純粋そのものなのだ。アリサはジェロームについて、こう言っている。

「主よ、おっしゃって下さいまし、ほかのいかなる心にもまして、あの人の心ほど主に値したものがありましたろうか?あの人こそはわたくしを愛することよりもっと優れたことのために生れて来たのではありますまいか?」

アリサがジェロームからの求愛を受け入れられなかった理由はただ、二人が愛し合ったら、神の国へ入れない、というような事なのだ。その事について、アリサはこう言っている。

「主よ、あなたが示し給うその路は狭いのです-二人ならんで通れないほど狭いのです。」

この小説の中でアリサは、少し現実離れした人物として描かれているように思う。生身の女性というよりは、究極的なキリスト者の象徴というような・・・。私はこの小説と『マノンレスコー』を比べてしまった。二人の愛が全てで、愛そのものには全くの汚れがなく、それだけを守るために数々の罪を簡単に犯してしまうマノンレスコー・・・、それに比べ、この小説のアリサはなんて潔癖で悲しい存在なのか・・・。私だけでなく、おそらく殆どの現代人がアリサを理解するのに苦しむと思う。俗っぽい表現をするなら、究極的な「善」は「悪」以上に罪という気がしてしまう・・・。
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