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家庭集会

昨日は1年ぶりくらいに教会の家庭集会に出席した。といっても、前回は1回のみだったので、昨日は2日めだった。参加者は全員女性。女性だけだと、何でもアリの世間話に終始しそうだけれど、あくまで聖書を学ぶのが目的、という基本を守っている所が気に入っている。

[新約聖書 マルコによる福音書10章32~45]
イエス様はエルサレムに向かう途中、弟子達に御自分の最期と復活についてお話をされます。しかし、弟子達の反応は意外なものでした。ヤコブとヨハネがイエス様にあるお願いをしますが、そのお願いとは、「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」というものでした。それを聞いて、イエス様は落胆なさり、他の10人の弟子達も呼んでこう言われます、「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」と。最期を迎え、復活を遂げるまで、付き従っていた全ての弟子達は、イエス様の本意を理解していなかったのです。御自分を神の子と断言し、常に頂点に立っておられた完璧なイエス様は、決して政治的に弟子達を従えて支配しようとは思っておられなかったのです。家庭集会のまとめ役である信者の方が、カトリック教会について教えてくださいました。カトリックでは、個人でお祈りや懺悔をする事が許されておらず、全て教会内の偉いお方を通してするものだと言うのです。カトリックでは、祭祀を司る方々は階級に分けられ、身に着ける服装も違うと言います。そのような階級制度の中で、支配、被支配という上下関係を否定する事は難しいかもしれません。また、会社など、組織の中で生きて来た者にとっては、むしろカトリック教会の秩序の方が受け入れやすいかもしれません。私はそこまで考えず、たまたま導かれたプロテスタントの教会へ通っていますが、結果的には良い選択だったのではないかと思います。心を開放するのには、自由さが必要だと思うからです。ある方が、イエス様が神様と同格とは思えない、というような話をなさいました。後で知ったのですが、その方はノンクリスチャンのまま、教会に何年も関わっておられるそうです。私はその事に関してこうコメントしました、「私にとって、イエス様が本当に神の子であるかどうかは、それ程意味を持ちません。イエス様は人間を支配する権力者ではなく、全人類を救うという目的のために、生涯を捧げられた方だからです。」と。
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