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ムナのたとえ話

[ルカによる福音書 19章11~27節]
ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになりますが、彼は10人の僕達に等しく1ムナずつお金を渡します。そのうち一人はそのお金を元手に10ムナを稼ぎ、一人は5ムナを稼ぎますが、もう一人はお金を布に包んでしまっておき、それを元手に稼ごうとしなかったのです。10ムナ稼いだ者は10の町を、5ムナ稼いだ者は5の町を支配する権利を与えられますが、布に包んでしまっておいた者は、預かっていた1ムナをも10ムナ稼いだ者に渡すよう命じられたのでした。

この話は実際にあるように思えて、興味深いと思いました。お金を稼ぐためには、どうしても投資が必要です。一人めと二人めの僕はお金を減らす事を恐れず、増やして評価されたいという一心でお金を用いますが、三人めの僕は主人が冷酷な人だから、減らしでもしたら大変だと、その事ばかりを心配して、お金を用いようとしなかったのです。これは、あくまでたとえ話なので、主人が実際にどういう人だったか等は、あまり問題にされていませんが、主人を信用できなかった時点で、三人目の僕は他の二人に負けてしまっていると思うのです。

また、このたとえ話は、マタイによる福音書の25章「タラントンのたとえ」と対比されているそうです。「タラントンのたとえ」では、主人は僕達に異なる金額を渡しますが、「ムナのたとえ」では全ての僕に等しく1ムナが与えられているのです。これは何を意味しているかというと、タラントンの方では人には賜物、才能、個性の違いがあると見なしていて、ムナの方では人は本質的に同じように尊い命を与えられていると見なしているのです。ムナの方は個性などの違いはあっても、それぞれが「オンリーワン」であるという発想です。そして、損をしてしまった三人目の僕はユダヤ教の指導者を象徴しているのだそうです。神様への信頼を重要視せず、自分勝手に定めた厳しい掟によって「○○をしないでおこう」という臆病な信仰をするようになってしまったからです。

神様を信用する事はできるでしょうが、人を信用するのは難しいですよね。人生経験を積めば積むほど、臆病になる感覚は理解できます。神様の僕でいたいけれど、この世での生活も守らなければいけないのです。その点では、10分の1献金だとかは、それ以上を失う事がないわけですから、信仰も生活も守られ、受け入れやすい教えなのかもしれません。でも、規律に縛られた安全第一の生活からは、犠牲を伴うような隣人愛などは生まれにくいのでしょう。仮に人に騙され、傷ついても、神様は自分を評価してくださる、というような気持ちになれたら、その人はうまくすれば、10ムナを稼げるようになるのかもしれませんね・・・。
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