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福音を信じる

[新約聖書 マルコによる福音書1章9~15節]

イエス様はヨハネにより洗礼を受け、宣教を始められる際、2つの経験をなさいました。その2つの経験とは、「神様の親心を深く悟ったこと」と、「悪魔の誘惑に勝利したこと」でした。そして、イエス様は宣教の最初として、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」と語られたのです。

「福音を信じる」とは、イエス様の愛と父なる神様の愛を感じることです。私達は正しい信仰を得るまでは、「お金」、「世間的にうまくいくこと」などの間違った福音を信じていたり、「自分はダメな人間だ」というある種の信仰に心を支配されていたりします。しかし、イエス様や神様の愛を知ることで、イエス様がなさったように、悪魔に打ち勝つ力が与えられるのです。その価値観の転換が「悔い改め(メタノイア)」なのです。

ママ・マギーというシスターがこう言ったそうです、「私達は、どのような家庭に生まれるかということは選ぶことはできません。でも、どう生きるかは選ぶことができます。悪人になるか、聖徒になるかを選ぶことはできるのです。」と。聖書の中でも、イエス様の話に聞き入って台所仕事をしないマリアを、マルタが責める場面が出てきますが、イエス様は御言葉を聴くことを選んだマリアを誉めるのです。そんな風に私達も、悔い改めて、福音を信じる事の選択ができるのだと思います。

私も若い頃、ある人に愚痴を聞いてもらった時、「すぐに卑屈になる人は嫌いだ」と言われて、気持ちを入れ替えた事がありました。その時、私は自分に辛く当たる人達を憎んで、心の中で裁いていたのですが、今考えると、その時に他人を責めて自分を正当化してしまっていたら、今よりもっと駄目な人間になってしまっていたように思います。(><)

ですが、悔い改めるには、どうしても誰かからの愛が必要だと思うのです。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」という御言葉の本当の意味が最近、少しわかったような気がします。それは、人間の嘆き悲しみや怒りを、主が受けてくださる、という事なのではないかと思うのです。そう考えると、イエス様や神様の愛とは、本当に深いものなのだなぁ、と思います。どんなに嘆き悲しみや怒りをぶつけても、それをそっくり受取り、愛で包み込んでくださるのですから・・・。そして、受け取られたその重荷を、イエス様は他へぶつけたりはなさらないのです。そのように、いつも他人のために生きておられ、強くて優しいお方がイエス様なのだと思います。

お祈りします。(-人-)
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