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ヘロデ王とイエス・キリスト

[新約聖書 マタイによる福音書2章13~23節]

イエス様が誕生された時、イスラエルの王として君臨していたのがヘロデ王だったが、ヘロデ王は占星術の学者達からメシアが誕生するという話を聞いて、権力を奪われるのではないかと不安になり、ベツレヘム近辺の2歳以下の男子をすべて虐殺する、という行為に及ぶ。しかし、その時すでに、ヨセフとマリアは、お生まれになったイエス様を連れて、エジプトへ逃亡していた。

当時は社会保障もなければ、他国ですから、言葉も文化も違います。その中で、経済的な問題を抱え、人種的な差別を受けながら育たれたのが、イエス様だったのです。

しかし、イエス様は、エジプトでの辛い子供時代をマイナスとせず、プラスとして、ご自分の生き方の原動力とされました。

「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる」(ルカ6:20-21)

に見られるように、イエス様は貧しい人、恵まれない人を第一に考えられるお方だと思います。誰でもそうですが、自分自身の境遇と重ね、似た苦しみを経験した者に対し、慈しみの心を持つものだと思います。イエス様は、ただの人ではありませんから、多くの人のように偏りを持つ方ではなかったので、全人類を救えたのだと思いますが、それでも、一人の人間としてのイエス様は、社会的な弱者を第一に考えられる方だったように思います。(あくまで個人的な考えです。)

しかし、「敵を愛しなさい」と言われているように、自分とは異なる境遇、立場である人を思いやる気持ちが、神の国を作るには必要だと言われているように思います。

私は少しだけ仏教をかじっていますが、カピラヴァストゥ(インドとネパールの国境付近に位置した小国)の王子だったお釈迦様も、イエス様とは反対の立場であったにもかかわらず、自我執着を捨て、無我の境地になる事を説くなど、己のことばかり考えずに他人を思いやることが大切としていますよね。ヘロデ王がイエス様の幼い命を取ろうとしたのは、自分の権力、つまり幸福を奪われる事を極端に恐れたからです。イエス様が経験されたのは、「持たないこと」の苦しみで、ヘロデ王が経験しようとしていたのは、「失うこと」の苦しみなんですよね・・・。一度失えば、今度は「持たないこと」の苦しみが待ち受けているのですから・・・。

立場が違えば、お互いの苦しみを本当に理解する事はできないと思います。でも、慈しみの心が少しでもあれば、憎しみ合うことは少なくなるのではないでしょうか・・・。

お祈りします。(-人-)
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