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キリスト教と仏教との比較 PARTⅣ

今日は大和昌平先生の講義「般若心経の空とキリストにある空」の4回目でした。4回目は、仏教の「縁起」(因果、因縁とも言う)という概念について、密教のマントラについて、実体批判論について、仏教とキリスト教との共鳴する宗教性と相違点のまとめなどについてでした。

今回の講義で、私がずっと疑問に思っていた、信仰する目的について、はっきりと知ることが出来ました。ただ、全てを神様に委ね、神様を信じていればいい。神様はあるがままの自分を愛してくださり、祝福してくださる。それを疑っているわけではないのですが、私たちがするべき事、努力すべき事があるはずで、何を目標に何をしたらいいか、があまりに漠然としていたのです。

仏教での修行の目的は、「涅槃」なのだそうです。涅槃は悟りの境地で、苦しみから解放されて、心が平安な状態になるとの事です。キリスト教の信仰の目的は「よみがえり」や「永遠の命」かもしれませんが、この世にあっての目標は、やはり、「平安」ではないでしょうか。その部分で、仏教もキリスト教も目指すものが一致しているのです。

また、仏教とキリスト教の共通点として、「自己否定による真の自己実現」があると言います。「小我を捨てて、大我を得る」という言葉があるそうですが、宗教以外のどんな分野でも、必要な心得ではないでしょうか?まず、自分をまっさらな状態にして、そこから教えを学んでいく事が大切なのだという事です。仏教なら「修行」、キリスト教なら「聖化」という方法によって、信仰者は自分を高めていく事ができるのです。

反対に、仏教とキリスト教との相違点は、仏教では「自立」を良しとしますが、キリスト教では、どこまでも神様と共にあるという点です。キリスト者にとっての「自己否定」や「自己実現」は、キリストにあっての「自己否定」や「自己実現」なのです。

キリスト者にも精進(修行に励むという意味の仏教用語)は必要ですが、私たちクリスチャンに「地上での完成」は決してないのです。成長すればするほど、自己の罪性をよく知る者とされ、いよいよ十字架が大きくなっていきます。完成は神がやがて与えてくださるものであり、自ら達成するものではないのです。

「キリストに似た者となっていく」という信仰と、「神様を信じて全てを委ねる」という信仰が、今まで別々のもののように感じられていましたが、今回の講義で、同時に行われるものだという事がわかりました。私たちクリスチャンは、キリストの体の一部として、キリストの御心に忠実に生きられる者へと変えられていく事を、求められているのだと思います。
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